8月20日〜24日の5日間、宮城県連学生部の三澤と深作が台湾で行われた、自民党青年局海外研修に参加して参りました!
※以下、研修に参加した2名からの活動記録↓
◯《1日目(20日)》
羽田空港に集合し、結団式・事前勉強会ののち台北にむけて出発しました。事前勉強会では深作が禁輸問題の国民意識についての質問をしました。約4時間のフライトを経て台北の松山空港に到着しました。ホテルでチェックインを済ませてすぐに他県連の先生に士林夜市に連れて行っていただきました。独特の匂いがするエキゾチックな場所でした。ホテルに戻ってから鈴木馨祐青年局長主催の懇親会に参加させていただきました。多くの先生から非常にためになるお話を伺いました。
《2日目(21日)》
朝食を済ませて総統府の見学に行きました。東京駅舎を思わせるシンメトリーの建物でした。一旦ホテルに戻り、蘇嘉全立法院長主催の昼食会がありました。立法院長はじめ列席の要人の皆さんには深作から震災時の巨額の義援金のお礼、今なお残っている農産品の禁輸問題解決に向けての一層の尽力のお願いをしました。出席した要人の方の中に宮城県議会議員の相沢光哉先生をご存知の方がいらっしゃいました。昼食会が終了し、再び総統府に向かい、蔡英文総統への表敬訪問をしました。蔡英文総統は厳格なイメージがありましたが、私たちには非常に柔らかい口調で歓迎の言葉を述べてくださり、優しい握手を交わしてくださいました。中正紀念堂ではあまりの大きさの甍に圧倒されました。夕方からは頼清徳行政院長に表敬訪問し、夕食会に出席いたしました。夕食会後は他県連の皆さんと再び士林夜市に連れて行っていただきました。
《3日目(23日)》
台中市役所に訪問し、対中市長に表敬訪問をしました。表敬訪問時、団員から意見や質問を言える時間があり、私からは震災時の多大なる支援にお礼を申し上げ、禁輸問題の早急な解決に向けて一層の尽力を依頼しました。「学生との交流も大切にしている」と市長からコメントを頂きました。タピオカミルクティー発祥の店でうどんとタピオカミルクティー、甘いウーロン茶をいただき、その後航空機で金門島に向かいました。金門島は台中関係において軍事的に非常に重要な島です。金門島からは中国の大陸が見えます。赤い土に植えられている植物はトウモロコシとばかり思っていましたが、高粱酒の素になる「キビ」でした。島内では軍事施設「翟山坑道」、「獅山砲陣地」を見学しました。
《4日目(24日)》
高粱酒工場を視察したのち、航空機で金門島を離れ、台湾東部にある、今年春に地震被害があった花蓮縣へ行きました。地震で倒壊して、数名が犠牲になったホテルの跡地(現在は駐車場)を視察しました。夜には青年局長主催の晩さん会が行われ地元先住民の踊りを披露していただきました。観ていて心地よい踊りでした。晩さん会後は花蓮の夜市に出かけました。
《5日目(25日)》
花蓮の日本式寺院、吉保郷慶修院へ行きました。日本村が多かったこの土地で日本人にとって心のよりどころになったそうです。花蓮から台北までの列車での移動を経て、1日目に降り立った松山空港に到着し、荷物を預けてからお土産を購入し、参加した学生部全員での集合写真を撮影し、飛行機に乗り込みました。
今回の研修の中で最も印象に残っていることは台湾人のガイドさんが「私は日本に占領されたと思っていません、日本は建設をしてくれました。今の台湾は三毛作だが、日本が農業を教えてくれました。日本に感謝していて日本が大好きです。だから私は震災のとき三万円の寄付をしました」と言っていたことです。涙が出そうになりました。台湾と日本は今後も互いに支えあい、共に歩んでいきたいと思い、次世代を担う若者として日台関係を強く意識させられました。日台友好の日々が永久に続くことを願ってやみませんし、そのために我々学生部も最大限努力してまいります。
今回の研修は国会議員の先生、各地方議会議員の先生、全国の学生部員が参加して、国内での関係も一層深まるものとなりました。普通の大学生ができないような5日間の経験は一生の財産となりました。また、宮城県在住の団員としてお震災時のお礼が伝えられたこと、隣県で発生した事故による禁輸問題についてお願いすることができたことがとても嬉しいです。
台湾の皆さん、団員の皆さん、お世話になった事務局の皆さん、本当にありがとうございました!
(学生部幹事 深作)
◯3日目に行きました、「翟山坑道」は海から直接地下道とにつながっていて、小型上陸艇を収容する基地として役割があったそうです。また、地下道は花崗岩をくり抜いて作られており、くり抜いた花崗岩は中正紀念堂の建設に活用されたそうです。
「獅山砲陣地」では八二三砲戦から丁度60年の節目の日に迫力ある砲弾演習見学を見ることができました。
夜は外交部・張淑玲台湾日本関係協会秘書長主催の夕食会に参加し、中国青年救国団・軍幹部の方からお話しを伺うことができました。
4日目の朝では823戦史館の見学をしました。戦史館の外壁には当時の砲撃戦中に国のために犠牲となられた数百名の軍人の方のレリーフが描かれていました。また、823砲戦いわゆる第2次台湾海峡危機の当時の情勢を数多くの資料から学ぶことができました。
(学生部顧問 三澤)